鮎川俊介の「晴行雨読」

晴れたら小さい旅、雨が降ったら静かな読書。風景や本、人との出会いを記録します。

「真岡もめん」の看板

五行(ごぎょう)川に架かる橋を渡って真岡駅方面へ向かう途中、通り右手に石蔵(和田屋の石蔵)があり、その前に「真岡もめん」と記された看板がありました。 絵は有名な切り絵作家、滝平(たきだいら)二郎さんの作品。 着物を着た女性が糸車で糸(綿糸)…

御料理屋kokyu.

結城城址近くの水辺公園から駅方面へと戻る途中、通り左手にいっぷう変わった木造家屋を見掛けたので立ち寄ってみました。 通りから見ると、右の建物と左の建物が渡り廊下で結ばれており、渡り廊下の下を潜って建物の正面へ出ると、広い庭が広がっていました…

結城のまちづくり

結城市内の町角で、一枚の看板に目が留まりました。 「歩いて暮らせる安全で心なごむ街」とあり、「電柱地中化実現後のイメージ」と記されたイメージ写真が大きく掲載されています。 イメージ写真の通りには車が走っておらず、コンクリートの電柱や電線はな…

結城紬を織る地機

「結城市観光物産センター」においてある地機(じばた)2基のうちの1基。 これは結城紬を織る地機(いざり織機)で、織機の原点ともいわれるもの。 というのも、下野国分寺跡南側にある甲塚古墳(6世紀後半に造られた帆立貝形前方後円墳)から出土した形…

結城市民情報センター

JR水戸線結城駅北口を出ると、右手に結城市民情報センターがあり、それは市民図書館であるとともに観光案内所や観光物産センターなども併設されている複合施設になっています。 観光物産センターでは結城紬の地機(じばた)織りの実演も行われていました。…

結城市山王のバス停

享保8年(1723年)の「五十里水」による壊滅的な被害を受ける以前、蚕種の本場は結城地方であり、その蚕種=「結城種」は、信濃・上野・下野・常陸・武蔵・相模・陸奥などに販売市場を広げていました。 蚕種を売り歩く人々を蚕種商人と言いますが、その…

結城市山王の鬼怒川大橋と河川敷

結城市山王(さんのう)はかつて鬼怒川沿いに山王河岸があったところであり、またかつて蚕種生産農家が集中していたところでした。 元禄時代に最も多くの蚕種生産農家があり、享保元年(1716年)の「山王村明細帳」によると、10人ほどの農民が年に2、…

十二天橋より田川下流を望む

久保田河岸は、田川沿いの上(かみ)河岸、田川と鬼怒川の合流点の内出河岸、鬼怒川沿いの下(しも)河岸の、三つの河岸から成り立っていました。 十二天橋は、田川と鬼怒川の合流点のやや上流に架かっている小さな橋。 この付近に上河岸や内出河岸があった…

水野越前守忠邦の墓

水野忠邦(1794~1851)の墓のある山川水野家墓地は、結城市の南端の結城市街からは車でないと行けないようなところにあり、車でも道に迷ってしまうような田園地帯の真っただ中にありました。 ここは山川水野家の2代忠善が、山川水野家の菩提寺とし…

絹川地区の久保田河岸跡(栄橋より上流左手)

田川が鬼怒川に合流する地点に、かつて鬼怒川筋最大の賑わいを見せたという久保田河岸がありました。 元禄16年(1703年)には60艘の高瀬船を所有していたとの記録があります。 会津藩もここに勤番所を設けて藩士を常駐させ、御手船5艘を備えていた…

絹川地区小森の大桑神社

鬼怒川のかつての河岸の一つであった久保田河岸跡へと向かう途中、「小森」の地名があり、道路左手に「大桑神社」がありました。 案内板によると、本殿は享保7年(1722年)に建てられたもので、結城市指定有形文化財〈建造物〉になっています。 由来に…

結城城址を裏側(北側)より望む

結城用水に沿う水辺公園の駐車場に車を停め、本町を経由して結城城跡(城跡歴史公園)を訪れました。 案内板によると、この結城城は治承年間(1177~1180)に結城朝光(結城氏初代)が築いたとされるが確証はなく、それ以後の南北朝動乱期に築城され…

結城元祖結城七郎上野介朝光の墓

浄土真宗新居山称名寺に、結城家初代結城朝光のお墓がありました。 案内板や石碑によると、朝光は藤原秀郷の直流小山政光の四男として生まれていますが、源頼朝の伊豆配流の際の子(つまり頼朝の実子)という説もあるようです。 小山政光の妻である母の寒川…

健田須賀神社

健田(たけだ)神社はもともとは健田という地にあり、延喜式内社であったことから延喜式内社健田神社と呼ばれていました。 須賀神社はかつては牛頭天王社といい、結城家初代朝光により創建されたと伝えられ、結城家第一の氏神であり、結城108郷の総社でし…

奥順店舗・奥順見世蔵・キヌヤ薬舗

「織物買継商」の店看板が掛かった「奥順店舗」は、木造で大正初年に建てられたもの。 「奥順見世蔵」は、屋根裏の小屋梁に取り付けられている棟札から明治19年(1886年)3月25日に上棟されたもの。 その「奥順見世蔵」の右隣にある「キヌヤ薬舗店…

「織物買継商」の店看板

次の交差点で右折し、「大町通り」を進んでいくと、左手に見世蔵が並ぶ一角がありました。 手前の店舗の軒先を見上げると、「織物買継商 奥順株式會社」と白く書かれた板看板が掛かっていました。 国登録有形文化財の説明パネルによれば、紬問屋を営んでいた…

結城の街なかの見世蔵群

駅前蔵通りが健田(たけだ)通りと交わる四つ角あたりから蔵造りの見世蔵(みせぐら)が目立って多くなってきました。 それぞれの見世蔵の前には案内板や国登録有形文化財のプレートが設置してあり、形式や年代などがわかるようになっています。 特に国登録…

常光寺の鋳銅阿弥陀如来座像

「結城の蔵 磯田邸居宅」の案内板がある明治中期の蔵造りである磯田邸の右隣に、常光寺というお寺(時宗)があり、その参道入り口左手に鋳造仏がありました。 案内板によると、この鋳造仏は町の人々から「金仏さま」と親しまれた「阿弥陀如来座像」であり、…

結城観光物産館の暖簾

駅前蔵通りを進むと、右手に「桑」の字が白く染め抜かれた大きな暖簾のある建物がありました。 「いらっしゃいませ」の幟もあり、「結城観光物産館」として、桑の実ジャムや桑の実ゼリー、桑茶など、「桑」に絞った物産を販売しているようです。 「桑」の字…

結城市街なか観光情報板

JR水戸線結城駅北口から、右手に結城市民情報センターを見て駅前蔵通りをしばらく進むと、通り左手の商工会議所前に「結城市街なか観光情報板」がありました。 はじめて町歩きをする者にとっては、このような観光情報板があるととてもありがたいもの。 そ…

新開橋上から広瀬川と赤城山を望む

永久橋を渡り、広瀬川西岸の「広瀬川サイクリングロード」に出たところで右折し、上流方向に歩くと、新橋の西詰下に水難者供養塔がありました。 新開橋西詰で右折し橋を渡ると、上流やや右手に赤城山が見えました。 かつてこの広瀬川にも、さまざまな物資を…

広瀬川の永久橋より河岸場跡を望む

かつては川岸町通りから馬坂という急な坂道を下っていくと、広瀬川の河岸があり、喜兵衛河岸もしくは孫右衛門河岸と言われました。 武(たけ)孫右衛門の名前は、航路安全を祈願して文政2年(1819年)に建てられた石灯籠に、願主の一人としてその名前が…

武孫平家住宅

伊勢崎河岸石灯籠の左奥にあった、歴史の年輪を感じさせる茅葺屋根の住宅は、船問屋であった武(たけ)孫平の屋敷でした。 武孫平家の初代は武孫右衛門で、寛文3年(1663年)に船問屋を開業しています。 それから明治10年代まで、二百数十年間の長き…

伊勢崎河岸(喜兵衛河岸・孫右衛門河岸)の石灯籠

「西町通り」に戻って、それを南下すると三光町交差点にぶつかります。 そのぶつかった通りが「旧川岸町通り」で、三光町交差点で右折して通りを進むと、右手にあったのが大きな石灯籠と茅葺屋根の家。 石灯籠の傍らには「伊勢崎河岸の石灯籠」と記された案…

伊勢崎神社(旧飯福神社)の彫刻

「相川考古館」のある「 西町通り」から、左方向に延びる通りがあって、「呑竜通り」と標示がありました。 太田市内で「子育呑竜」という大きな看板を見た記憶があって、その通りに入っていくと、やがて左手に伊勢崎神社があり、右手に本光寺(浄土宗)とい…

西町通りの相川考古館の建物

本町一丁目交差点の南西角にある、かつては醤油醸造販売を行っていたという「町田佳聲生家」を左手に見て南下する通りが「西町通り」。 その「西町通り」を進むと、右手に立派な瓦屋根の門があり、その左横に「相川考古館の指定文化財」と記された案内板があ…

伊勢崎の「かかあ像」由来

「本町通り」の各所に見られる「KaKaa」のシンボルマーク(看板)は、「かかあ天下」の「かかあ」のことであることを、伊勢崎郵便局近く「本町通り」に面した場所に置かれている「かかあ像」の案内板から知りました。 案内板には、次のように記されてい…

伊勢崎の「本町通り」(前橋・館林線)

「軽トラ朝市」の準備が行われている「いせさき明治館」前の通りを南下すると「本町通り」(前橋・館林線)にぶつかります。 この交差点の左手前に「からくり広場」があり、傍らに「伊勢崎散策マップ」があって、伊勢崎の町の概要を知ることができました。 …

「世界遺産田島弥平旧宅」ポスター

通りに面したお店のショーウィンドウの内側に、「世界遺産田島弥平旧宅」という文字と切り絵風の絵が描かれたポスターが貼られていました。 「富岡製糸場と絹産業遺産群」ともあり、この「田島弥平旧宅」が、富岡製糸場を中心とする「絹産業遺産群」の一つで…

「いせさき明治館」と「軽トラ市」

「武家門通り」の突き当りを左折して、信号のある交差点で右折すると、通りの両側に軽トラなど商用車が並び、荷物を下ろす人たちでにぎわっていました。 「いせさき軽トラ市」と書かれた幟があって、軽トラ等で新鮮な野菜などを運んで来た人たちが、「朝市」…

いせさき街角文庫

「旧時報鐘楼」のある広場に隣接する「赤石楽舎」(伊勢崎市地域交流センター)の大きなガラス窓のところに、「読書の街いせさき推進事業 いせさき街角文庫 伊勢崎市」と書かれた幟がありました。 ガラス越しに中をのぞいてみると、本棚があって読書ができる…

伊勢崎の「武家門通り」

「旧時報鐘楼」が通りの先にあるのを教えてくれたのは、通り沿いの延命寺というお寺でお墓参りをしていた70代ほどの女性。「今日は暑くなりそうですね」と話しかけると、いろいろなことを教えてくれました。 このあたりは曲輪(くるわ)町といって、かつて…

旧時報鐘楼と赤石楽舎(伊勢崎市地域交流センター)

旧時報鐘楼を寄贈したのは伊勢崎出身の小林桂助(初代・1846~1917)。明治16年(1883年)に横浜で創業し、生糸や北海道特産のハッカなどの貿易で利益を上げたようです。 この時報鐘楼が使われていたのは大正4年から昭和12年(1937年)…

伊勢崎市の旧時報鐘楼

群馬県伊勢崎市内曲輪(くるわ)町にある旧時報鐘楼。大正4年(1915年)に、横浜の貿易商で伊勢崎出身の小林桂助が寄贈したものと案内板に記されていました。時鐘は、江戸時代の町の人々に親しまれていた中台寺の釣鐘が使われていましたが、戦時中に金…

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小さな旅の記録や読書の感想などをきままに載せていく予定です。