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鮎川俊介の「晴行雨読」

晴れたら小さい旅、雨が降ったら静かな読書。風景や本、人との出会いを記録します。

伊勢崎の「武家門通り」

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 「旧時報鐘楼」が通りの先にあるのを教えてくれたのは、通り沿いの延命寺というお寺でお墓参りをしていた70代ほどの女性。「今日は暑くなりそうですね」と話しかけると、いろいろなことを教えてくれました。

  • このあたりは曲輪(くるわ)町といって、かつてはお城を囲むお堀がまわりにあって、一部、それが残っているところがあること。
  • お城の近くということもあってか、このあたりにはお寺が多いこと。
  • このお寺は天台宗で、もと武家のお墓が多いこと。
  • この通りを進むと、突き当りの右手に「旧時報鐘楼」があって、それは大正時代に横浜の貿易商によって寄贈されたものであること。
  • 北小学校のあたりは伊勢原陣屋(お城)の跡地であること。
  • 徳江という製糸工場があって、そこではかつて多くの女工が働いていたこと。
  • 通っていた女学校には、「旦那衆」の娘が多くいたこと。またかつては「芸者衆」もたくさんいて、音曲にあふれにぎやかな町であったこと。しかし今は、いろんな意味で静かな町であること。
  • お墓詣りは夕方にするものではない、夕方にすると「ついてくる」と言われたこと。

 女学校を出てから伊勢崎を離れ、退職してから伊勢崎に戻ってきたということで、かつて製糸や織物でにぎやかだった頃の伊勢崎についてはよくご存知のようでしたが、伊勢崎を離れてから戻ってくるまでの間の伊勢崎のことについては「よく知らないんですよ」というお話でした。

 この延命寺のある通りは「武家門通り」という名前で、北隣にある同聚院にある武家門に由来しています。

 この武家門は、もとは伊勢崎藩初代藩主稲垣長茂の屋敷門であったらしく、寛文元年(1661年)に同聚院の本堂が建て替えられる以前の遺構で、伊勢崎市内で最も古い木造建築物ということです。

 伊勢崎駅横のスーパーからまっすぐ南下する通りが「武家門通り」で、通り右手に「武家門」があり、通り突き当たったところを右に折れると「旧時報鐘楼」があります。