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鮎川俊介の「晴行雨読」

晴れたら小さい旅、雨が降ったら静かな読書。風景や本、人との出会いを記録します。

伊勢崎の「本町通り」(前橋・館林線)

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 「軽トラ朝市」の準備が行われている「いせさき明治館」前の通りを南下すると「本町通り」(前橋・館林線)にぶつかります。

 この交差点の左手前に「からくり広場」があり、傍らに「伊勢崎散策マップ」があって、伊勢崎の町の概要を知ることができました。

 特に興味関心を惹いたのは、「本町通り」「西町通り」「川岸町通り」などの主要道路や小さな街路など、多くの今の道は江戸時代からの道そのままであるということと、「旧時報鐘楼」の赤煉瓦が黒く焼けたり表面が焼けただれたようになったりしているのは、終戦前夜の昭和20年(1945年)8月14日の空襲によるもので、この空襲により市街地の約4割が焼失しているということでした。

 「旧時報鐘楼」の煉瓦壁がところどころ黒ずんでいることは気になっていましたが、それは空襲による猛烈な火災によるものであったことを知りました。

 もとは「本町通り」にあったという「いせさき明治館」も、「武家門通り」の「武家門」も、空襲による火災を幸いに免れたものであったのです。

 ネットで調べてみると、伊勢崎がアメリカ軍によって空襲を受けたのは、正確には8月15日の0時8分から2時15分までの真夜中2時間余であり、ほぼ同じ時刻、埼玉県の熊谷と秋田県秋田市の土崎(港)が空襲を受けており、これらがアメリカ軍による最後の本格的な日本本土空襲であったようです。

 織物の町伊勢崎は、終戦直前(終戦日当日)におけるアメリカ軍の本土空襲目的地の一つであったことになります