鮎川俊介の「晴行雨読」

晴れたら小さい旅、雨が降ったら静かな読書。風景や本、人との出会いを記録します。

伊勢崎河岸(喜兵衛河岸・孫右衛門河岸)の石灯籠

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 「西町通り」に戻って、それを南下すると三光町交差点にぶつかります。

 そのぶつかった通りが「旧川岸町通り」で、三光町交差点で右折して通りを進むと、右手にあったのが大きな石灯籠と茅葺屋根の家。

 石灯籠の傍らには「伊勢崎河岸の石灯籠」と記された案内板がありました。

 それによると、この石灯籠は、江戸時代に現在の広瀬川の永久橋東詰あたりにあった、喜兵衛河岸または孫右衛門河岸と呼ばれる船着場にあった石灯籠で、文政2年(1819年)に建てられたもの。

 世話人は大嶋儀右衛門、村田利兵衛。願主は武孫右衛門、瀬川太兵衛。

 灯籠の竿の部分には「大杉大明神」「住吉大明神」と刻まれており、航路の安全を祈願したものであるとともに、夜間や悪天候の際の航路の標識としての役目も果たしていたとのこと。

 基礎部には、寄進した荷主や船主たちの名前が刻まれているとも。

 確かに竿の部分に「住吉大明神」「大杉大明神」と刻まれ、基礎の部分に、「御舩安全」と刻まれた両側に寄進した人々の名前がびっしりと刻まれていました。

 伊勢崎の西側を南北に流れている広瀬川は、かつては水運の盛んな川であり、「喜兵衛河岸」もしくは「孫右衛門河岸」と呼ばれる河岸場があったのです。