広瀬川の永久橋より河岸場跡を望む
かつては川岸町通りから馬坂という急な坂道を下っていくと、広瀬川の河岸があり、喜兵衛河岸もしくは孫右衛門河岸と言われました。
武(たけ)孫右衛門の名前は、航路安全を祈願して文政2年(1819年)に建てられた石灯籠に、願主の一人としてその名前が刻まれていました。
広瀬川は利根川の分流で、渋川で利根川から分かれて、伊勢崎の河岸を経て利根川に合流します。
利根川を利用した灌漑用水として整備されましたが、水運にも利用され、米や諸産物が船で運ばれました。
伊勢崎の河岸から下って行くと、まもなく利根川に出ますが、そこにある河岸が平塚河岸でした。
伊勢崎の河岸は永久橋の南側(下流側)の左手にあったようであり、永久橋の中ほどから広瀬川下流を眺めてみました。
もちろん、広瀬川に架かるこの永久橋はかつてはなかったはずです。