結城元祖結城七郎上野介朝光の墓
浄土真宗新居山称名寺に、結城家初代結城朝光のお墓がありました。
案内板や石碑によると、朝光は藤原秀郷の直流小山政光の四男として生まれていますが、源頼朝の伊豆配流の際の子(つまり頼朝の実子)という説もあるようです。
小山政光の妻である母の寒川尼は、頼朝の乳母をつとめたとありました。
朝光は頼朝の信任厚く、関東八家の統領として頼朝の重臣の一人でした。
この朝光は親鸞聖人の教えを信仰し、親鸞の高弟真仏(常陸の豪族平国香の血を引く真壁城主平春時の出家後の名)を開基としてこの称名寺を建立。
建長5年(1253年)2月に、87歳という当時としてはかなりの高齢で亡くなっています。
寺には初代朝光から結城家4代までのお墓があるとのことでした。