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鮎川俊介の「晴行雨読」

晴れたら小さい旅、雨が降ったら静かな読書。風景や本、人との出会いを記録します。

結城城址を裏側(北側)より望む

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 結城用水に沿う水辺公園の駐車場に車を停め、本町を経由して結城城跡(城跡歴史公園)を訪れました。

 案内板によると、この結城城は治承年間(1177~1180)に結城朝光(結城氏初代)が築いたとされるが確証はなく、それ以後の南北朝動乱期に築城されたと見るべきであるとのこと。

 天正19年(1591年)、17代晴朝が徳川家康の二男秀康を養子にもらい受け(18代秀康)、慶長6年(1601年)越前福井への国替えまで関東の雄として栄えたという

 結城氏の越前福井転封後、結城城はいったん廃城となりますが、元禄15年(1700年)水野氏の入部により再興され、明治になるまで水野家の居城であった、とありました。

 江戸時代、水野家には結城水野氏と山川水野家があって、両水野家は、結城家の元家臣の「結城十人衆」といわれる町方(商人)とともに、まちの発展に尽力したという。

 結城郊外の山川という地には、山川水野家の菩提寺である万松寺の跡があり、そこに山川水野家の11代までのお墓があって、その11代が「天保の改革」で有名な老中水野忠邦であること(つまり水野忠邦の墓が結城にあること)を、結城を訪れて初めて知りました。