鮎川俊介の「晴行雨読」

晴れたら小さい旅、雨が降ったら静かな読書。風景や本、人との出会いを記録します。

結城市山王の鬼怒川大橋と河川敷

f:id:ayushun:20160719043830j:plain

   結城市山王(さんのう)はかつて鬼怒川沿いに山王河岸があったところであり、またかつて蚕種生産農家が集中していたところでした。

 元禄時代に最も多くの蚕種生産農家があり、享保元年(1716年)の「山王村明細帳」によると、10人ほどの農民が年に2、3回くらい、武蔵や相模方面へ蚕種販売に出向いていました。

 結城地方は「結城紬」と「結城種」(蚕種)生産の本場であったのですが、享保8年(1723年)の「五十里水」(いかりみず・鬼怒川上流の五十里沼の決壊による氾濫)により、結城地方の桑畑は壊滅的打撃を受け、蚕種生産の中心は阿武隈川沿いの伊達・信夫両郡(信達地方・現在の福島県北部)に移ってしまうことになりました。

 山王近くの鬼怒川に架かる鬼怒川大橋のあたりには、広い河川敷が広がっていますが、かつては見渡す限りの桑畑であったものと思われました。