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鮎川俊介の「晴行雨読」

晴れたら小さい旅、雨が降ったら静かな読書。風景や本、人との出会いを記録します。

結城市山王のバス停

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 享保8年(1723年)の「五十里水」による壊滅的な被害を受ける以前、蚕種の本場は結城地方であり、その蚕種=「結城種」は、信濃・上野・下野・常陸・武蔵・相模・陸奥などに販売市場を広げていました。

 蚕種を売り歩く人々を蚕種商人と言いますが、その蚕種商人が集中していたのは鬼怒川西岸の結城本郷で、その中でも山王村が最も多かったようです。

 彼らは山川幽谷を超えて遠国まで出向き、各地の祭礼や市で蚕種を商いました。

 しかし享保8年の「五十里水」によって、鬼怒川西岸の桑畑は土砂に流されて、桑の木株一本残さぬほどの惨状となりました。

 この「五十里水」以後、結城地方の蚕種商人は奥州伊達地方の阿武隈川流域に出向いて、蚕種生産の技術を現地の農民に伝えたり、蚕種を共同生産したりしました。

 現在、結城市における養蚕農家は2軒しかなく、結城紬の原料である繭玉のほとんどは、福島県伊達氏保原(ほばら)町から仕入れているとのことでした。