奥順店舗・奥順見世蔵・キヌヤ薬舗
「織物買継商」の店看板が掛かった「奥順店舗」は、木造で大正初年に建てられたもの。
「奥順見世蔵」は、屋根裏の小屋梁に取り付けられている棟札から明治19年(1886年)3月25日に上棟されたもの。
その「奥順見世蔵」の右隣にある「キヌヤ薬舗店舗」は、「奥順見世蔵」とほぼ同じ時期に造られたもの。この見世蔵を買い取って開業したのは昭和24年(1949年)で、それ以前は、自転車店、和裁洋品店(お針屋)、電気会社の店舗などとして使用されていたとのこと。
通り(大町通り)を隔てた向かいにあり、現在「奥順壱の蔵」という喫茶店になっている見世蔵は、奥順の別館でかつては2階が物置代わりに使われていたもので、戦後に奥順の所有となったもの。
見世蔵の多い結城の街なかでも、このあたりは、「奥順壱の蔵」の国登録有形文化財のパネルに記されているように、「奥順店舗や見世蔵、キヌヤ薬舗と一体になって伝統的な町並み景観を形成」している区画です。
ここに脚注を書きます))
結城の街なかの見世蔵群
駅前蔵通りが健田(たけだ)通りと交わる四つ角あたりから蔵造りの見世蔵(みせぐら)が目立って多くなってきました。
それぞれの見世蔵の前には案内板や国登録有形文化財のプレートが設置してあり、形式や年代などがわかるようになっています。
特に国登録有形文化財のプレートの店や建物の説明は詳しく、参考になりました。
梁嶋邸居宅、秋葉味噌醸造見世蔵、小西見世蔵、小倉商店店舗兼主屋、赤荻本店見世蔵などそれぞれ興味深いものでしたが、結真紬見世蔵がもと呉服商の見世蔵ということもあって関心を惹きました。
創建年代は明治40年(1907年)以前。
1階両側に袖壁があり、2階両側に戸袋があって、外壁全体は黒漆喰仕上げであり、典型的な関東の見世蔵であるとのこと。
この見世蔵の奥に、平屋の住居部分(主屋)が接続していて、その主屋も国登録有形文化財になっています。
こういった重厚な見世蔵が、このあたりだけでなくあちこちの通り沿いに点在しており、独特の景観と雰囲気を醸し出していました。
常光寺の鋳銅阿弥陀如来座像
「結城の蔵 磯田邸居宅」の案内板がある明治中期の蔵造りである磯田邸の右隣に、常光寺というお寺(時宗)があり、その参道入り口左手に鋳造仏がありました。
案内板によると、この鋳造仏は町の人々から「金仏さま」と親しまれた「阿弥陀如来座像」であり、永禄9年(1566年)の修復の銘があることから、それ以前に鋳造されたものだとのこと。
今から500年ほど前に鋳造された仏像ということになります。
室町時代に造られた、佐野の天命(てんみょう)の鋳物師の傑作であるとありました。
背後に回ると、「阿弥陀如来座像背銘文」の看板があり、座像の背中に刻まれている多数の銘文がわかるようになっていました。
結城氏が支配していた時代(つまり江戸時代以前)から、この常光寺の門前にこの阿弥陀如来座像は安置されており、この「金仏さま」は通りを往来する人々を500年の長きにわたって見続けてきたことになります。
結城市街なか観光情報板
JR水戸線結城駅北口から、右手に結城市民情報センターを見て駅前蔵通りをしばらく進むと、通り左手の商工会議所前に「結城市街なか観光情報板」がありました。
はじめて町歩きをする者にとっては、このような観光情報板があるととてもありがたいもの。
その観光情報板を見て驚いたことは、蔵やお寺や神社等のマークがとても多く、しかもあちこちに点在していること。
蔵は31、お寺は14、神社等は13、合わせて48もあります。
通りの名前も、国府町通り、糀荷通り、亀甲通り、健田(たけだ)通り、大町通り、西之宮住吉通り、紺屋町通りと、歴史を感じさせるもの。
それらの通りも、縦横に入り込む小さな通りも、むかしのままのようです。
この「結城市街なか観光情報板」を見て、俄然、これからの町歩きの期待が高まりました。