鮎川俊介の「晴行雨読」

晴れたら小さい旅、雨が降ったら静かな読書。風景や本、人との出会いを記録します。

2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

武孫平家住宅

伊勢崎河岸石灯籠の左奥にあった、歴史の年輪を感じさせる茅葺屋根の住宅は、船問屋であった武(たけ)孫平の屋敷でした。 武孫平家の初代は武孫右衛門で、寛文3年(1663年)に船問屋を開業しています。 それから明治10年代まで、二百数十年間の長き…

伊勢崎河岸(喜兵衛河岸・孫右衛門河岸)の石灯籠

「西町通り」に戻って、それを南下すると三光町交差点にぶつかります。 そのぶつかった通りが「旧川岸町通り」で、三光町交差点で右折して通りを進むと、右手にあったのが大きな石灯籠と茅葺屋根の家。 石灯籠の傍らには「伊勢崎河岸の石灯籠」と記された案…

伊勢崎神社(旧飯福神社)の彫刻

「相川考古館」のある「 西町通り」から、左方向に延びる通りがあって、「呑竜通り」と標示がありました。 太田市内で「子育呑竜」という大きな看板を見た記憶があって、その通りに入っていくと、やがて左手に伊勢崎神社があり、右手に本光寺(浄土宗)とい…

西町通りの相川考古館の建物

本町一丁目交差点の南西角にある、かつては醤油醸造販売を行っていたという「町田佳聲生家」を左手に見て南下する通りが「西町通り」。 その「西町通り」を進むと、右手に立派な瓦屋根の門があり、その左横に「相川考古館の指定文化財」と記された案内板があ…

伊勢崎の「かかあ像」由来

「本町通り」の各所に見られる「KaKaa」のシンボルマーク(看板)は、「かかあ天下」の「かかあ」のことであることを、伊勢崎郵便局近く「本町通り」に面した場所に置かれている「かかあ像」の案内板から知りました。 案内板には、次のように記されてい…

伊勢崎の「本町通り」(前橋・館林線)

「軽トラ朝市」の準備が行われている「いせさき明治館」前の通りを南下すると「本町通り」(前橋・館林線)にぶつかります。 この交差点の左手前に「からくり広場」があり、傍らに「伊勢崎散策マップ」があって、伊勢崎の町の概要を知ることができました。 …

「世界遺産田島弥平旧宅」ポスター

通りに面したお店のショーウィンドウの内側に、「世界遺産田島弥平旧宅」という文字と切り絵風の絵が描かれたポスターが貼られていました。 「富岡製糸場と絹産業遺産群」ともあり、この「田島弥平旧宅」が、富岡製糸場を中心とする「絹産業遺産群」の一つで…

「いせさき明治館」と「軽トラ市」

「武家門通り」の突き当りを左折して、信号のある交差点で右折すると、通りの両側に軽トラなど商用車が並び、荷物を下ろす人たちでにぎわっていました。 「いせさき軽トラ市」と書かれた幟があって、軽トラ等で新鮮な野菜などを運んで来た人たちが、「朝市」…

いせさき街角文庫

「旧時報鐘楼」のある広場に隣接する「赤石楽舎」(伊勢崎市地域交流センター)の大きなガラス窓のところに、「読書の街いせさき推進事業 いせさき街角文庫 伊勢崎市」と書かれた幟がありました。 ガラス越しに中をのぞいてみると、本棚があって読書ができる…

伊勢崎の「武家門通り」

「旧時報鐘楼」が通りの先にあるのを教えてくれたのは、通り沿いの延命寺というお寺でお墓参りをしていた70代ほどの女性。「今日は暑くなりそうですね」と話しかけると、いろいろなことを教えてくれました。 このあたりは曲輪(くるわ)町といって、かつて…

旧時報鐘楼と赤石楽舎(伊勢崎市地域交流センター)

旧時報鐘楼を寄贈したのは伊勢崎出身の小林桂助(初代・1846~1917)。明治16年(1883年)に横浜で創業し、生糸や北海道特産のハッカなどの貿易で利益を上げたようです。 この時報鐘楼が使われていたのは大正4年から昭和12年(1937年)…

伊勢崎市の旧時報鐘楼

群馬県伊勢崎市内曲輪(くるわ)町にある旧時報鐘楼。大正4年(1915年)に、横浜の貿易商で伊勢崎出身の小林桂助が寄贈したものと案内板に記されていました。時鐘は、江戸時代の町の人々に親しまれていた中台寺の釣鐘が使われていましたが、戦時中に金…

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小さな旅の記録や読書の感想などをきままに載せていく予定です。